この記事の結論
退職勧奨は、労働者に退職を促し、その合意によって労働契約を終了させる働きかけです。使用者が一方的に契約を終了させる解雇とは法的性質が異なり、解雇権濫用法理や解雇予告の規制は及びません。ただし勧奨の態様が労働者の自由な意思決定を妨げる水準に達すると、違法な退職強要として損害賠償の対象になります。
条文の根拠
退職勧奨そのものを直接規律する条文はありません。判断の枠組みは、解雇側の規制と対比することで見えてきます。
解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
(労働契約法第16条)
退職勧奨は退職の申込みを誘う行為にとどまり、応じるかどうかは労働者の自由です。ここが解雇との分岐点になります。
なお、本記事で引用する法令は、労働契約法(平成19年法律第128号、平成20年3月1日施行)、労働基準法(昭和22年法律第49号、昭和22年9月1日施行)、民法(明治29年法律第89号。第95条・第96条は平成29年法律第44号による改正後の規定で、令和2年4月1日施行)です。
退職勧奨と解雇を分ける3つの判断軸
(1) 契約終了の法的性質
解雇は使用者の一方的な意思表示で効力が生じます。退職勧奨は、退職特別給付などの条件を提示して同意を促すなど、雇用契約の合意解約の申入れ又はその誘引という法律行為の性格を併せもつ場合が多く、労働者が応じて初めて合意解約が成立します。労働者が拒否すれば労働契約は何も変わらず、拒否したこと自体を理由に不利益を与えれば別の違法行為になります。
(2) 適用される規制
解雇には労働契約法第16条のほか、労働基準法第19条の解雇制限、第20条の解雇予告が及びます。合意による退職にはこれらは適用されません。代わりに、退職の意思表示に錯誤・詐欺・強迫があれば取消しの対象になります(民法第95条・第96条)。実務では次のようなケースが該当します。
- 詐欺・強迫(民法第96条):懲戒解雇事由がないにもかかわらず懲戒解雇があり得ると告げて退職を迫った場合、睡眠を取らせず執拗に退職を迫った場合
- 錯誤(民法第95条):実際には解雇事由がないのに解雇を示唆され、「退職しなければ解雇になる」と誤信して退職した場合
錯誤の効果は、令和2年4月1日施行の改正民法で「無効」から「取消し」に変わっています。改正前の事案を扱う判例・文献が「錯誤による無効」と記述していても、現行法下の扱いは「取消し」です。
(3) 争われ方
解雇では「無効か否か」(地位確認・バックペイ)が争点です。退職勧奨では「合意が有効に成立したか」と「勧奨の態様が不法行為(民法第709条)にあたるか」の二段構えで争われます。
進め方の実務手順
以下は法令上の義務ではなく、違法と評価されるリスクを下げるための実務上の推奨です。
- 勧奨理由と提示条件(退職日、退職金の上乗せ、年次有給休暇の残日数の扱い)を面談前に整理します。
- 面談は1回30分から1時間程度にとどめ、日時・出席者・発言内容を記録します。
- 勧奨する側は1〜2名までとし、多人数で取り囲まないようにします。
- 応じない選択をしても不利益は生じないことを明示します。
- 合意に至ったら、退職日・条件・清算条項を記載した退職合意書を取り交わします。
- 退職勧奨の直後に安易な自宅待機を命じないようにします。命じる場合は、業務上の必要性と賃金の扱いを明確にします。
能力不足を理由に勧奨する場合は、勤務評価や改善指導の経過を先に整えておかないと、勧奨そのものが圧力と受け取られやすくなります。
手順6は見落とされやすい論点です。退職勧奨後の自宅待機は、退職を受け入れざるを得ない精神状態に追い込む退職強要の手段とみなされたり、他の従業員の目に触れることで名誉毀損として不法行為と評価されたりする可能性があります。
違法とされた場合の効果
退職勧奨を直接処罰する罰則規定はありません。違法と評価された場合の効果は、不法行為(民法第709条)に基づく損害賠償責任と、退職の意思表示の取消しです。損害賠償は慰謝料にとどまらない場合があります。
- 慰謝料:面談の態様が自由な意思決定を妨げる水準に達した場合の精神的損害
- 逸失利益:違法な勧奨の結果として退職に至った場合、再就職までに要する期間の賃金相当額が認められることがあります
- 労災・解雇制限:心理的圧力によりうつ病等の精神疾患を発症した場合、業務上の疾病と認定され、療養補償・休業補償の対象となる可能性があります。業務上の疾病であれば、療養のための休業期間とその後30日間は労働基準法第19条の解雇制限も及びます
分かれ目は、面談の回数・時間・人数・言辞が「自由な意思決定を妨げる」水準に達したかどうかで、行為の名称ではなく態様で判断されます。
離職理由の取扱い
退職勧奨による離職は、雇用保険上の特定受給資格者(いわゆる会社都合)の範囲に含まれます。退職届が提出されていても、実質が勧奨であれば事業主都合の離職として扱われ、助成金の支給要件にも影響します。詳しくは関連記事をご覧ください。
関連判例
下関商業高校事件(最高裁第一小法廷 昭和55年7月10日判決・労働判例345号20頁)
退職勧奨を拒否した教員に対し、数か月間で十数回の面談が行われた事案です。控訴審(広島高裁 昭和52年1月24日判決)は、退職勧奨は自発的な退職意思の形成を促す説得行為であり、その限度を超えて心理的圧力を加えたものは違法な権利侵害にあたると判断し、最高裁もこの判断を是認しました(上告棄却)。地方公務員に対する事案で、国家賠償法上の責任が問われたものである点には留意が必要です。
日本アイ・ビー・エム事件(東京地裁 平成23年12月28日判決・労働経済判例速報2133号3頁)
労働者が退職勧奨を拒否した後も説得が続けられた事案で、裁判所は、拒否の意思が示されたからといって直ちに説得を終える義務はないとし、社会通念上相当な範囲を逸脱しないとして請求を棄却しました。控訴審(東京高裁 平成24年10月31日判決・労働経済判例速報2172号3頁)もこの判断を維持しています。
拒否の意思表示があった時点で勧奨が直ちに違法になるわけではありませんが、そこから先は回数を重ねるほど相当性の説明責任が重くなる局面に入ります。何を伝え、どの条件を提示したかの記録が、そのまま相当性の立証資料になります。
実務チェックリスト
面談前
- 勧奨理由を客観的な事実(勤務評価・改善指導の経過等)で説明できる
- 提示条件(退職日、退職金の上乗せ、年次有給休暇の残日数の扱い)を整理している
- 面談の出席者を1〜2名に絞っている
面談中
- 1回の面談を1時間程度にとどめている
- 日時・出席者・発言内容を記録している
- 応じない選択をしても不利益は生じないことを伝えている
- 解雇を示唆する発言をしていない(錯誤・強迫のリスク)
合意後
- 退職日・条件・清算条項を記載した退職合意書を取り交わしている
- 離職証明書の離職理由を実態に即した区分で記載している
- 自宅待機を命じている場合、業務上の必要性と賃金の扱いを明確にしている
一次情報・参考資料




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